2作目はブレードランナー。
言わずもがな、SF映画の金字塔です。
今回で3度目でしょうか。
週末に公開中のブレードランナー2049を観に行こうと思うので予習です。
まだ観ていない方はぜひ、DVDをレンタルして観ましょう。
1982年公開の映画です。
インディージョーンズ-失われたアーク-が1981年、スーパーマンⅢが1983年、スターウォーズ-ジェダイの復讐-が1983年公開ですから、その頃の映画です。
荒廃した未来都市から始まります。
降っている雨は酸性雨です。
どこかで観たシーンと思われるかもしれません。
2019年のロサンゼルスらしいのですが、明らかに日本と中国と香港のチャンポンであり、その後に発表されたアニメでよく見た光景です。
この点でも、このブレードランナーが後代に及ぼした影響は大きいといえます。
数多く存在するバージョン
なんでしょうね。
Wikiペディアによると7つも存在するそうです。
やはり、製作者としては完璧を求め、微調整を重ねていくとこうなるのでしょうか。
おススメはディレクターズカット版です。
スコット監督の意図したとおりのブレードランナーがそこにあります。
劇場公開版との大きな違いはハッピーエンドの削除、ユニコーンの夢の追加です。
深みのあるテーマ
この変更により、主人公デッカードはレプリカント(人造人間)なのか、という疑惑が浮上します。
というより、そうなのでしょう。
このブレードランナーの深いところは、そうしたただの謎解きではなく、人間に一つの疑問を投げかけているところです。
人が人である証拠とは何か?
レプリカントは人間が決してしたがらない強制労働を生涯にわたって強いられます。
性能は人間よりも高く、感情もそのうち芽生え、4年という短すぎる寿命以外は人間となんら変わりません。
こうしたレプリカントを前に、デッカードと観客は「何を持って”人間”と”人間以外”を判断するのか。」という疑問を自身に問いかけるようになります。
SF映画の王道ですね。
デッカードはレプリカントの一人を愛することで答えを提示するのですが。
でも彼もレプリカントというのが最大の皮肉です。
結局は差別の世界
話しは少し逸れますが、映画の枠を超えますと人間界では同じような悲劇がすでに何度も繰り返されています。
能力が優れていても、生まれた国、親、身体的な特徴、経済状況などのゆえに強制労働を強いられる人がいます。
能力を発揮することもなく死んでいく赤ちゃんや子どもたちがたくさんいます。
人の歴史は差別の歴史というくらいです。
聖書にも『今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ。 』とあります。(日本聖書協会 聖書 新共同訳 コヘレトの言葉 8章9節)
レプリカントだから差別されるわけではないのです。
常に人間は差別する対象を見つけ、力により抑圧してきました。
抑圧される側の悲しみをレプリカントは見事に表しています。
ただ、普通に生きたいだけなのです。
期待の続編
話しを戻して、現在公開中の続編の話しです。
タイトルからもわかる通り、2049年のお話ですから30年後ということになります。
デッカードも出るらしいので、彼がどういった立ち位置で出てくるのか、レプリカントとしての自覚はあるのか、今回の映画の主題は何か、楽しみにしたいと思います。
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