ブレードランナー2049。難解なストーリー。だが、それがいい。

今日は劇場に行ってきました。

楽しみにしていたブレードランナー2049です。

SF映画の金字塔、その続編は?

続編って大体、前作を超えないと言われますが、このブレードランナー2049は良かったですね。

ストーリーの深さ、映像の鮮明さ、メッセージ性の強さ。

どれをとっても前作を超えたと言わざるを得ません。

ここから先はネタバレを多く含みますので、まだ観ていない方は観られることをおススメいたします。

レプリカントの奇跡とは?

時はタイトルにある通り2049年。

前作から30年後の未来が舞台になっています。

心優しいレプリカント、サッパーが主人公のKによって解任される(レプリカントを殺害すること)ところから物語は始まります。

その時にサッパーが語った”奇跡”がこの物語のカギとなります。

それはレプリカントによる出産でした。

そして木の根元から発見された出産の際に亡くなったレプリカントの遺骨が前作のヒロイン、レイチェルのものです。

ええっ!?

サッパーとレイチェルが!

と思ったのですが、生まれた子どもはデッカードとレイチェルの子どもだということが後でわかります。

一瞬ヒヤッとしました。

寡黙で武骨な作品

すごいですね。

この作品のテンポ、そして情報量。

前作を観て、さらにいくつかの短編を観て、初めて分かるストーリーなのです。

寡黙な主人公と同じように寡黙なナレーション。

まさに作品の作りがハードボイルド。

しかも、上映時間163分。

3時間弱ですよ。

それがあっという間に過ぎていくのです。

その間ずっと脳は働きっぱなし。

終わった後も少しぼーっとして、妻のショッピングを手伝い、家に帰って湯舟につかりながら「ああ、なるほど。」と納得する。

すごい映画です。

深すぎるストーリー

前作は酸性雨が降りしきるロサンゼルスでしたが、今回はさらに地球温暖化により海面が上昇し、異常気象として雪が降り続けるロサンゼルスになっています。

技術が環境改善に用いられることなく、レプリカントという奴隷の生産に使われるあたり、人間のエゴを見事に表していると言えます。

大きく分けると三つの組織が出てきますが、どこにも正義はありません。

一、ウォレス社 … タイレル社の技術を入手し、レプリカントにより宇宙に対して支配力を強めたいと考えている。社長のウォレスは半分機械の天才科学者。

二、解放運動を行うレプリカントたち … レプリカントの解放のためにデッカードの子どもを利用しようとしている。必要ならデッカードを犠牲にしても良いと考える。

三、警察 … 秩序を守るため、デッカードの子どもを解任し、レプリカントの出産自体なかったことにしようとする。Kの所属先。ウォレス社の方が立場が上。

一番感情移入できるのがレプリカントたちなんですが、実際のところここも危険ですよね。

大義のためなら何もしても良いという過激派組織的な香りがプンプンします。

謎が謎を呼ぶ

Kはデッカードの子どもと同じ遺伝情報と記憶を持ちます。

そのためレプリカントの子どもではないか、というところが争点となってきます。

なぜ彼がそうした状況で、まさにその子どもを追う警官なのか。

警察組織の上にウォレス社があることを考えると、偶然ではない気がするんですよね。

彼はウォレス社が生み出したレプリカント9型であり、彼をサポートし、彼が信頼と愛情を寄せるAIのジョイもウォレス社製。

レプリカントは他社の記憶を植え付けられますから、ウォレス社経由でそうなったのは確か。

そうなるとウォレス社は、デッカードの子どもの情報をある程度、把握していたことになります。

それは後で知ったのでしょうね。

そうでなければデッカードの子どもはウォレス社にいることになります。

孤児院で情報がなくなっていたのはウォレス社によるもので、その時得られた情報を基にKを生み出し、死んだことになっている同じ遺伝子情報と記憶を持つデッカードの子どもを探させたのではないでしょうか。

同時進行でレプリカントたちも動いており、デッカードの子どもを死んだことにしてかくまったと考えるのが自然です。

推測でですが、”二人の子どもがいて”という警察のデータベースの情報は、まずレプリカントたちによるデッカードの子ども隠しにより、女の子が死んだことになります。

その後ウォレス社により、Kにデッカードの子どもを探させるため、(Kに勘違いさせるため)男の子がいたことにしたのではないかと。

ここらへんは何度も悩みますし、何度も観返したいですね。

この感覚、SF小説を読む感覚そのままです。

何度も何度もページをめくり、同じ部分を読み返します。

それでも明確な答えはないのですが、小さな証拠を集め、自分なりの結論を出すのです。

これはDVDを待つしかないということですか。

あと、劇中様々なシーンで描かれる涙には意味がありますね。

やはりテーマは人間

登場人物はほとんどレプリカント。

彼ら一人一人の心の動きにフォーカスを当て、”人間とは何か”という事を観ているわたしたち人間に問いかけます。

見事です。

自分を優秀な天使とみなすラヴ。

レプリカント解放運動の指導的な立場のフレイザ。

フレイザの下で何でもする娼婦のマリエット。

農場で静かに暮らそうとするが、解任されるサッパー。

目的が果たせないとわかったらすぐに解任されるレイチェルコピー。

レプリカントでありながらその事実に気づいていないデッカード。

一度は特別な存在ではないかと期待するが、そうではない現実に絶望するK。

うーん、確かにあると気づかないものってたくさんあります。

家族のぬくもりや自由など。

その点、彼らが教えてくれるのは”人間であることのすばらしさ”。

だからこそ、観た後に自分に対して思うのです。

(人間であることに)うぬぼれるな、と。

特異な存在であるジョイ

登場人物の中で唯一実体を持たないのがAIのジョイ。

彼女はウォレス社の開発したAIであり、ネットワークでウォレス社と接続されています。

そのため彼女が得た情報はすべてウォレス博士やラヴのもとに送信されます。

Kに対して特別な存在と言い続け、Kをデッカードの子ども探しに仕向ける助けになったのも彼女です。

ですが、ウォレス社の手先というと違う気がします。

正しくは最初はそうであったが気が変わったというものです。

Kが逃亡しなくてはならなくなった時、自分の情報にアクセスされないようにネットワークから遮断するよう求めています。

それは明らかにウォレス社の考えとは反する行為です。

ネットワーク端末だった彼女がKとの生活を送ることにより、人間に近い感情を持ち、ある時点からウォレス社に情報を送らないようにしていたのではないかと思うのです。

Kが逃亡しなくてはならなくなり、この先どうなるかわからない状況になった時には、娼婦を雇い、娼婦とシンクロすることによりKと肉体関係を結びます。

しかし、翌朝彼女はこの娼婦マリエットに対して「あなたの役目は終わった。」と冷たく追い出すのです。

嫉妬のような感情をむき出しで。

一連の流れは将来AIが感情を持つ可能性について触れているのではないかと思います。

AIであっても自由意思により、自分にとって重要なこと(人生の意義)を見出すのではないかと。

感情を持った彼女がラブによって殺害される(消される)直前にKに言った言葉は「愛してる。」でした。

それに対し最後の方で、巨大な映像として映し出されているジョイとKが会話します。

その時にはジョイの意思はなく、Good Joe(いい人)になれるという、ジョイがデッカードの子どもを探すきっかけの一つになった言葉を繰り返すのみでした。

デッカード登場と驚愕の事実

でてきましたね。

デッカードがおじいちゃんになっている事にリアルな年月を感じてしまいますね。

銃の腕はかなりいいのに、レプリカントのKに対して歯が立たないことも、前作の踏襲と言えます。

結局ウォレス社に連れていかれるのですが、そこで最愛の女性のコピーと引き合わされます。

レイチェルの遺骨と一緒に埋葬されていた髪の毛から採取したと思われるDNAにより作られた完全なコピーです。

しかも、保管されているレイチェルとデッカードの会話などの情報を基に作られた記憶も移植されており、ほぼレイチェル本人と言えるような仕上がりです。

その時にウォレス博士が驚愕の事実を述べます。

元々デッカードとレイチェルは結ばれるようにタイレル博士により仕組まれていた、というのです。

なるほど、と言える論理です。

しかし、デッカードは彼女を拒絶します。

どんなに似ていても、少しでも違うなら、あるいは共に時間を過ごしていないなら、愛した女性と同じではないのです。

とても人間らしい回答ですね。

ウォレス博士が言ったことは事実かもしれません。

でも、デッカードとレイチェルが育んだ愛は真実でした。

大人の皮肉

この映画の特徴は、ちりばめられている皮肉にもあります。

将来、技術の進歩とは裏腹に退廃していく世界。

免疫の不全により外に出られないアナ博士が観ている作り出された”自然”が一番美しいというのは強烈な皮肉ですね。

次にラヴ。

彼女は自分が最も優れていると考えているがゆえに、同じレプリカントを解任することについて何も感じません。

自分と同じ存在を実際には殺害しているにも拘わらず、自分は特別な存在なので良いと思っているのです。

悪い宗教みたい、と思うのはわたしだけでしょうか。

自分たちは特別だ、と考える人たちは他者に対する情愛が少ない気がします。

それだけでなく、他者を傷つけても自分は特別な存在なので許されている、とさえ考えるのです。

この”自分だけは特別”という感情は周りにとっても本人にとっても毒になります。

何よりもK。

希望を持っていないときの方が仕事はうまくいき、希望を持った瞬間から彼の人生は狂い始めるのです。

真実を知ってしまった後は知らなかった方が幸せと思える状況になります。

彼もまたラヴほどではありませんが、”自分は特別”と思っていました。

新型のレプリカントとして旧型よりも優れていると思っていました。

あまりにリアルすぎる記憶から、もしかしたら”自分は特別”なレプリカントでは、と思っていました。

しかし特別ではありませんでした。

彼もまた無数に生み出されたレプリカントの一人でしかなかったのです。

そしてそれに気づいた結果、彼のとった行動はなんと最も人間らしいものでした。

一抹の不安

今日行った映画館は、一日にたった一回の上映でした。

観客も三分の一ほどで、とても静かに集中して観ることができましたが、やはり少し少ない気がします。

映画自体ものすごく良いのに。

この作品の本当に素晴らしいところは観客に媚びを売らなかったことです。

例えば説明を多くして作品を二回に分ければ、もっと分かりやすくなったかもしれません。

ストーリーが多少薄まっても、観客が喜ぶシーンを追加した方が良かったかもしれません。

ネタバレの宣伝を多くすれば、観る人は増えたかもしれません。

でも、それではこの映画の良さが失われてしまいます。

ぜひとも劇場で感動してほしい、そういう製作スタッフの気持ちが伝わってきます。

映画の本来の愉しみ方

こういう本物の映画を観ると、一緒に見た人とああでもない、こうでもないという話に花が咲きます。

映画の後に食事や喫茶に言ってそういった話しをしたくなります。

わたしも食事をしながら妻と会話を楽しみました。

今はこうして感想をブログに書いていますが、いつもより長文になっていますね。

またいろいろな人の感想も読んでみようと思います。

これが、映画の本当の愉しみ方なんでしょうね。

本当に面白い映画でした。

たくさん考えさせられました。

SFっていいものだな、と思いました。

もし、まだ観ておられないのでしたら観られることをおススメいたします。

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